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大阪地方裁判所 昭和33年(わ)840号 判決

被告人 岡田禎勝

昭七・三・三生 国家公務員

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、

被告人は、大蔵事務官にして大阪国税局管下堺税務署直税課所得税第二係員として、所得税の課税業務に従事していたものであるが、昭和三十三年二月十二日午前十時半頃、堺市北新町三丁附近路上において、大阪商工団体連合会事務局長三国良雄に対し、かねて被告人が職務上堺税務署長より配布をうけていた大阪国税局直税部所得税課作成の秘密文書である「昭和三十二年分営業庶業等所得標準率表」及び「昭和三十二年分所得業種目別効率表」各一冊を手交し、もつて被告人がその職務上知り得た税務行政上の秘密を漏らしたものである。

と謂うにある。

そこで考えてみるのに、大阪国税局長から大阪府警察本部長宛の「貴殿より電話にて御照会のあつた事項についてつぎのとおり回答します」と題する書面、大阪国税局長から堺税務署長宛の昭和三十三年一月十日付及び同月二十二日付各一般通達、大阪国税局文書取扱規程(昭和三十一年九月一日訓令第八号)、大阪国税局管下税務署文書取扱規程(昭和三十一年九月一日訓令第九号)を綜合すると大阪国税局においては、「昭和三十二年分営業庶業等所得標準率表」(以下においては「標準率表」と略称する。)及び「昭和三十二年分所得業種目別効率表」(以下においては「効率表」と略称する。)と称する文書を作成し、申告所得税調査の参考に資するため、管内税務署の関係職員に配布しているのであるが、その内容が外部に漏洩すると支障があるとの考慮のもとに、同文書については、右大阪国税局文書取扱規程及び同局管下税務署文書取扱規程にいわゆる「秘」文書とし、その表紙にその旨の表示をしている外、各税務署長に対し、関係職員への交付に当つては番号を記録するなどその管理に留意し、いやしくも外部に漏洩することのないよう厳に注意されたい旨の通達をするなどいわゆる秘文書としての取扱をしているとの事実を一応認めることができる。

ところで、国家公務員法第百条第一項には、「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。」と規定されているのであるが、そこにいわゆる「秘密」とはいかなる事項を指称するものかについて、内容的にも、手続的にもなにらの規定がおかれていないのである。従つて、それはすべて解釈に委ねられていると解せられるでのあるが、同項違反の行為に対し、懲戒処分をもつて臨む場合ならばともかく、刑事処分をもつて臨もうとする本件のような場合にあつては、ただ単に国家機関の内部における秩序維持の問題ではなく、広く国家的社会そのものの秩序維持に関係のある事柄として、それが少く共刑罰によつて保護されるに値するものでなければならないと考えられる。そして、何が刑罰によつて保護されるに値するものかどおかについては、当該国家機関においてこれを指定しうるとの法律上の根拠のない以上、刑罰法規の解釈、適用をその任務とする裁判所において独立に判断すべき事柄であつて、当該国家機関の内部においてその旨の指定がなされていたとの一事のみをもつては足りないと云わなければならない。従つて、本件にあつては、「標準率表」及び「効率表」が、いずれも大阪国税局の管下において、いわゆる秘文書としての取扱をうけていたとの前記認定の事実のみにては足りず、更にそれが刑罰によつて保護されるだけの実質的な価値即ち秘密性を有するものかどおかについて考察を加えてゆかなければならないと解せられる。

そこで、その点につき考えてみるのに、検察官の釈明するところによると、本件において問題とされている「標準率表」とは、事業所得者の年間売上げに対して、通常の場合その所得がどれくらいであるかを業種目別に示した比率の表であり、「効率表」とは、一定の業種につきその従業員数、在庫品高、設備員数等の外形標準により、通常の年間売上高を示す比率の表であるというのであるから、それが刑罰によつて保護されるだけの実質的な秘密性を保有するかどおかについて判断するに際しては、その内容とせられている比率が明らかにされることが不可欠の要件であろうと考えられる。しかるに、検察官において証拠として提出した「標準率表」及び「効率表」につき証拠調をしてみたところ、いずれもその表紙についてはなにらの加工もされていないのであるが、その内容の大部分について真黒に墨をぬつたと思われる紙が貼りつけられておるため、そこに記載されていたであろうことを認識することが不可能であり、わずかに数行のみについて数字の記載されている部分のあることが認められるのであるが、それがいかなる種目、業態についての比率であるかこれ又不明であつて、結局、同文書によつてはその内容がいかなるものであるかを判別しえないのである。そして、取調済のその余の証拠によつても、同文書の内容が明らかにされているわけではなく、更に検察官において証人の取調請求をしているのであるが、いずれもそれにより同文書の内容を立証しようとするものではなく、同文書の秘密性その他その余の事項の立証に資せんとするものにあること証人申請書の記載により明らかであるから、それら証人を取調べたとしても、文書の内容が明白になるものとは考えられないのである。そして、検察官において、「標準率表」及び「効率表」の内容を明らかにしないその理由とするところは、大阪国税局長からの、同文書が税務行政上の秘密に属し、それを公けにすることが国の重大な利益を害するとの申入れに基くとのことであるから、そのような場合には、刑事訴訟法第百三条により、裁判所といえども同文書の押収をなしえないものと解せられ、職権によつてもその内容を明らかにすることができないものと考えられる。なお、検察官は、本件弁論を終結した公判期日において、同文書の内容を明らかにしうる様、大阪国税局長と接渉中であるから、審理の続行を求める旨の申立をなし、同文書の内容が明らかにされうる可能性のあることを表明したのであるが、本件については公訴の提起以来すでに二年の期間を経過し、その間十四回もの公判期日が開かれ、そのうち大部分が釈明に終始したとは云うものの、それも同文書の内容についてであつて、被告人側においてその内容につき多大の関心を寄せていたことは容易に看取しえたと考えられるのであるから、同文書を証拠として提出するについては、すでに充分の検討がなされていなければならないと解せられるところ、今更になつて審理の続行を求めて証拠の整理をしようとの検察官の立証活動は、被告人の立場を無視した信義誠実の原則に反するものとして、容認しがたいところである。

このように、本件にあつては、秘密文書であると主張されている「標準率表」及び「効率表」の内容を明らかにすることができないのであるが、それが刑罰によつて保護されるだけの実質的な秘密性を保有しているかどおかを判断するに当つては、その内容についても考慮を払わなければならないこともとより当然のことであるから、その内容が明白になしえない以上、右文書が国家公務員法第百条第一項にいわゆる「秘密」であると認めるに由ないものであると解せられ、その他の証拠につき取調べてみても犯罪の証明なきに帰すること明らかである。

よつて、刑事訴訟法第三三六条に従つて、主文のとおり判決する。

(裁判官 網田覚一 西田篤行 岡次郎)

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